やまねこ yamaNeko

映画と音楽とアイ・キャンディ

イーディ・セジウィック Edie Sedgwick

イーディ・セジウィック Edie Sedgwick (1943-1971)esed001

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父親フランシスはサンタ・バーバラに3000エーカーの牧場を持つ農場主だったが躁鬱病で神経を病んでいた。母親のアリスと結婚する前、アリスの父はフランソワの医師と会って結婚したら子供は1人も作ってはいけないと忠告されている。
(この医師の警告はあたっていたわけだ。父親との確執が彼女の奇行や男の兄弟の自殺を招いたと言われているが、精神疾患の遺伝的要素が大きいのではないだろうか)

しかし結局は8人の子供をもうけた。農場は広大でも現金には不自由し石油が出るまでは苦しい生活だった。農場から石油が出ると更に6000エーカーの農場を購入した。
子供達は公立の学校に行くことを許されず何と彼らのための学校が作られたと言う。
イーディと妹のスザンナは毎日ビタミンB剤を注射しに町の女医の所に行ったそうだ。

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次男のミンティ(Francis Mint)は15才でアルコール中毒症、結局16才になるとシルバー・ヒル精神病院に入院するはめになった。そして1964年26才の誕生日の前日に自殺した。

長男のボビー(Robert Minturn)も精神病の問題を抱えていた。彼はハーバード大学の学生だったが入退院を繰り返している。彼もミンティ同様ベルヴュー病院やマンハッタン州立病院などあちこちの病院を転院している。1964年ヘルメットをかぶらずハーレーダビッドソンに乗りバスに巻き込まれ1965年の1月に亡くなった。

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イーディは拒食症でシルバー・ヒル精神病院に通院した最初の患者だった。
1962年の19才の秋だった。拒食症は体重が90ポンド(40.8kg〜そんなにひどくないような気がするが・・)になるまで続き、NY病院のブルーミングデール分院に転院する。そこは自由なシルバー・ヒル精神病院と違って厳しく、通院中に妊娠した彼女は中絶をしなければならなかった。

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1年後の1963年秋、病院から解放されるとマサチューセッツ州のケンブリッジに移るが、精神科医との面接は続いた。
そこでチャック・ウェインと会う。
21才になると1964年NYに移る。
そして1965年1月アンディ・ウォーホールに出会う

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3月にはよくウェインと一緒に「ファクトリー the factory」を訪ねるようになった。
当時のウエィンを知るウォーホールの知人達は「ウォーホールはウエィンの金髪碧眼が気に入ってた」「ウエィンはドラッグをよくやっていたし非常に感じが悪かった」と言っている。
ウォーホールはイーディをファクトリーの女王にしたいと考え、Kitchen、Beauty No. 2など12本の映画に出演させている。
彼女の人気が高まって行くとまわりから、ウォーホールから離れてちゃんとしたスターになった方がいいよと忠告がくるようになる。その1人がボブ・ディランの右腕と言われるボブ・ニューワースだった。

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イーディがボブ・ディランとボブ・ニューワースに会ったのは1964年12月のことだから、ウォーホールに会う1ヶ月前だ。
イーディとボブ・ディランの関係ははっきりしない。
性的関係はなかったと言われている。ボブ・ニューワースとは1回あったそうだが、誰が事実を知っているだろうか?
1965年11月ディランはサラと秘密裏に結婚式を行う。

この後、彼女はファクトリーを去る。
ファクトリーを去った後もボブ・ニューワースとの関係は続き、「ヴォーグ誌」のモデルの仕事も続けていた。

1966年末、数ヶ月ホテル暮らしをしていたがクリスマス休暇に家に帰る。
その時の様子を三男のジョナサンがこう言っている。
「農園に戻って来たときは本当に変だった。エイリアンだったよ。みんなを不愉快にさせる話し方、歌いたくて歌うんだがそれは歌でなくうなり声なんだ。まるで娼婦のように見える、ぼろぼろの、ペンキで塗り立てられた人形みたいだった・・・」

母親の掛かり付けの医師から興奮剤の処方箋をもらおうとしたのがばれて、母親は医師に相談する。結局両親は熱があるからと彼女に嘘をついて精神病に入院させる。
病院を出てからまたマンハッタンのホテル暮らしに戻りドラッグを飲み続ける。
ボブ・ニューワースは彼女のドラッグと異常行動を止めることができなて、1967年の始め別れてしまう。

1967年10月父親のフランシスが亡くなる。
彼女はこの時、病院にいた。
病院を出ると 彼女に出演してもらいたいと映画を書き終えていたL・M・キット・カーソンと夫婦のふりをしてウォリック・ホテルに移った。が、彼女のドラッグと奇行に耐えられなくなったカーソンは出ていってしまう。
その数日後彼女はベルヴュー病院に入院させられる。知り合いの医師から退院させてもらうが、じきにドラッグ過剰摂取で別の病院に入院するはめになる。

ついに母親は1968年の晩秋、病院からサンタ・バーバラの農園に彼女を連れ戻すことにした。
その時の様子をジョナサン
「彼女は歩くことができなかった。ただぶっ倒れているだけ。話すことも出来なかった。色素検査をした医者の話では血が脳の一部に達していないと言うことだった」

そして回復した彼女はサンタ・バーバラの近くの町のアパートに住むようになった。
しかし1969年8月、ドラッグで地元警察に逮捕されると精神病棟に入院させられる。
そこで後に結婚相手となるマイケル・ポストと知りあう。

退院するとヴァイキングスと呼ばれるバイカーグループとつるむようになる。

1970年の夏にはまた入院。
そしてショク療法を受ける。

1971年7月マイケル・ポストと結婚。
10月までは酒も薬も止めていたが身体の病気の治療として鎮痛剤が投与されていた。
彼女はずっと医師の診察を受けていたが鎮痛剤を無くしたと言っては余分の薬をもらいアルコールと一緒に飲んでいた。
11月サンターバーバラ美術館で開かれたファッション・ショーを見に行き、パーティに出席したが出席者の1人から「ヘロイン中毒」となじられたと言う。
マイケルが迎えに来てとの電話をもらってパーティ会場に着くと、彼女は相当飲んでいたのだった。
翌朝マイケルが起こしに行くと彼女は亡くなっていた。
催眠剤の過剰摂取で事故と自殺の両方の検死報告がなされた。
28才の人生だった。

彼女のことを詳しく書いたブログ(日本語)
話はかぶらない。

○映画 Factory Girl (2006)
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(監督)George Hickenlooper
 (イーディ・セジウィック)シエナ・ミラー
 (アンディ・ウォーホール) ガイ・ピアース
 (ビリー・クイン)ヘイデン・クリステンセン
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ヘイデン・クリステンセンはビリーことボブ・ディラン役だね。
ボブがこの映画の上映に待ったをかけた話や
シエナ・ミラーとヘイデン・クリステンセンが撮影中本番をやったと噂もあるけど、どうだろう?

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